2022.2.12
日常の中にある美(前編)
こんにちは、坂本澄子です。
先日、東京国立近代美術館で開催中の『民藝の100年』を見に行ってきました。
平日の、しかも朝一番で行ったのにかなりの混雑ぶり。
コロナ禍で自宅にいる時間が増え、何気ない日々の暮らしを豊かにデザインすることに関心が高まっているのかも知れませんね。
民藝は「下手物(げてもの)」と言って「上手物」=高級品の対極にあるもので、陶磁器、染織、木工などの普段使いする道具です。
繰り返し作られることで機能が絞り込まれ見た目もシンプル。でも、どこか手仕事の温もりがある、そんな道具たち。
チケットのこの『羽広鉄瓶』は山形県に伝わる民藝品の一つ。
羽のように広がったおしりが特徴的ですが、これは火鉢の開口部にぴったりと収まって下からの熱を効率よく伝えるため。そして、太い持ち手は中が空洞になっており、持つ時にアチチにならず、かつ軽くするための工夫なんだそうです。
それぞれの形にはちゃんと意味があるんですね。
火鉢がストーブさらにはエアコンに変わり、囲炉裏に家族が集まって過ごすライフスタイルが変化することで廃れゆく道具。
この展覧会では、全国各地を回り失われつつある民藝品を蒐集して美術館に保存し、展示や出版物を通して世の中に発信、さらには流通の仕組みまで作った柳宗悦氏のアートとビジネスの融合(民藝運動)が紹介されています。
その書斎(現在の日本民藝館)を見ると、イギリスのボウバック・アームチェア、染織の生地で表具を設えた掛け軸など、国内外から蒐集した民藝品が身近に置かれ、氏のこだわりが独特の空気感を生み出しています。
自身の美意識で蒐集されているからこそ統一感があり、好きなものに囲まれる気分の高揚がエネルギーを作り出すという好循環になっているように感じました。
民藝にまつわる物語を知り、毎日の生活に道具として、あるいは形を変えて取り入れてみると、日常をより心豊かなのもにできるかも知れませんね。
私もこれと似た体験を今まさにしています。
パリの街角で出会ったお碗です。
およそフランスらしからぬ模様、でもなぜか気になって見ていたら、お店の人がウズベキスタンの民藝品だと教えてくれました。
ウズベキスタンといえば、何年も前に国際会議のレセプションのお手伝いをした時に、参加されていた彫りの深い顔立ちを思い出すくらいしか接点がなかった国。
でも、エキゾチックな模様と色使いは私にとっては日常のアート。たとえ中身がうどんでも、もう一品加えて彩りよくしたり、盛り付けにこだわるとなんだか楽しくなってきて、午後も頑張ろうと気持ちが上がります。
そういえば、ウチの父は晩年「仕舞っておいたら無いのと同じだから」と、祖父の代からの古い食器を普段使いにしていました。
今思うとこれも日々の暮らしのちょっとしたスパイスになっていたのかも知れません。
アートでも同じことが言えるように思います。
時々美術館に出かけて非日常を味わうだけでなく、好きな作品があったら、思い切って日常に取り入れることで、ちょっといい毎日になる。そんな小さな積み重ねが美意識を磨き、生活を豊かにしてくれるのではないでしょうか。