2023.6.11
ドイツの思い出
こんにちは、坂本澄子です。
広島の実家に帰ってきています。
父を見送って3年、途中になっていた荷物の整理を再開しました。
時折降る雨に、庭の紫陽花が青く滲むのを見ながら、先週、大学時代の後輩と久しぶりに連絡を取り合って甦ったあの頃の記憶を辿っています。
私の大学での専攻はドイツ語。
萩尾望都さんの世界観に惹かれて、ドイツに憧れを持ったのがきっかけです。
ところが、ご多聞にもれず大学生になるとほとんど勉強をしなくなり、ドイツ語の方もさっぱり。
クラブに集中していたとか、バイトで頑張っていたわけでもないのに、35人のクラスで成績はワースト軍団でした(恥
それでも、3年も秋風が吹く頃になると「これでよいのか」と、さすがに焦ってきました。
両親に頼み込んで、半年後にドイツに短期留学をする計画を立て、ドイツ語を1からモーレツに勉強し直し、2月の後期テストの後、すぐにドイツに発ちました。
留学先は南ドイツの片田舎にある、古城を改装した語学学校。
城の塔の部分に秘密の場所のような小部屋があり、そこでクラス分けの試験を受けました。
ほとんどがスイス、イタリア、オランダなど近隣諸国から来た人で、東洋人は私一人だったのですが、半年間必死で勉強したのが威力を発揮し、一番上のクラスに。
ところが、ヒアリング力、速読力が弱い上に、自ら能動的に会話に参加するクラスのスタイルに完全に気後れしてしまい、自己嫌悪の日々。
昼食、夕食もお城のダイニングでみんな揃って食事するのですが、喋るのが苦手でつい黙り込んでしまう悪循環にホームシックは全開。
そんな中、1ヶ月が経った頃、ある変化が起こりました。
小さな出来事がきっかけでした。
クラスで私の答えたことを先生が褒めてくださったのです。
決して完璧な答えをしたわけではなく、自分の思ったことを辿々しく発言しただけなのですが、一生懸命聴いてくださり、周りのクラスメートたちも真剣に耳を傾けてくれていました。
そのことがあってから、クラスをリードしている受講生も特段素晴らしい発言をしているわけではなさそうだと気づきました。
日本では下手なことを言うくらいなら黙っていた方が良いと考えますが、欧米ではむしろ、黙っていると何も考えがないと取られ、軽んじられてしまいます。
違う意見を出し、その会話をより深く豊かなものにしていくことが期待されているのだと。
そんな考え方の違いがわかってくると、気分的に随分楽になりました。
ドイツでは自然に対する感じ方も変わりました。
寒い季節でしたが、近くの林道を散歩するのが日課となるほど、南ドイツの風景に惹かれました。
雪を踏む自分の足音以外には何も聞こえず、誰もいない白い世界。
針葉樹林のキーンとした空気の中を歩いていると、次第に心も身体も透明になっていくように感じます。
やがて、林を抜けると一気に視界が開け、目の前に広がる白い大地と、かすかに朱を帯びた薄曇りの地平線。
そこにいるのは小さな自分でした。
ところが、、、
あんなに頑張ったにも関わらず、卒業後はドイツ語を使う機会が全くなくなってしまいました。
短期間で覚えたものは忘れるのも早く…。
その話をすると、残念そうにしていた父の顔が浮かびます。
でも、ドイツで過ごしたあの時間は決して無駄ではなかったと感じるようになりました。
入社した会社が外資系だったので、随分後になってからですが、グローバルに仕事をするようになってあの時の経験が生きました。
また、絵を描くときには、ドイツの森林でのあの透明感に似た感覚が甦ることがあります。
そんなふうに、あの頃の自分が今へと緩やかに繋がっていることを感じて、ほっとするのです。